碧水会のリレー随想 

吉澤 早

  2007年 日本女子大学
 e0024  私とボート部 原稿受領日:2011.12.30
 リレー先指名 : 

 創部50周年おめでとうございます。先日の50周年記念式典では多くのOBOGの皆様とお目にかかることができ、とても嬉しく思いました。また今回のリレーエッセイのお誘いも頂き、有難うございます。僭越ですが、ボート部のことを回想していきたいと思います。

 2007年に大学を卒業後、ボートとは疎遠でした。しかし、2009年に転職をしてからグループ会社対抗でのレガッタが開催されていることやボート部出身者が社内にいたことから、ボートに触れる機会があります。今年9月に戸田で行われた大会では、他部署と女子クルーを組みコックスとして参加しましたが、残念ながら敗退してしまいました。一時期は大会を中止していた時期もあったようですが、大会を再開してからは開催の度に出場クルーが増えているとのことです。

 東京海上ホールディングスの隅社長がボート部出身ということもあると思いますが、社内でもスポーツのイベントがあると意外と参加者が集まるので運動をする機会を求めている方が多いほか、社内交流の機会として積極的に参加する動きが強いのではないかと感じます。レガッタ大会の練習は鶴見川で1回ありましたが、やはり体はしっかりと覚えていました。現役時代に辛かったエルゴも久しぶりに少し漕いだらすぐに筋肉痛になり、体力が衰えていることを痛感しました。来年は男女混合クルーの漕手として参加をしようと考えています。

 ボート部に入部してよかったと思うことが二つあります。ひとつは自分自身と向き合うことで忍耐強くなったことです。在学中はシングルスカルを漕いでいましたが、ひとりでの乗艇は自分自身との葛藤ばかりだったと思います。心折れるのも漕ぎきるのも自分次第。思うように結果がでずに悩んでばかりでした。なぜあんなに辛かった練習をがんばることができたか、今考えてみると周りで一緒に頑張る同期や先輩の姿も大きかったと思います。スカルを漕ぎ始めてから数カ月、井熊監督に「フィリッピに乗ってもよい」と言われたときにはとてもうれしく感じたのを覚えています。

 もう一つは自分が勧誘をした後輩がボートを続け、活躍してくれたこと。これはあまり口にしたことはなかったことですが、後輩達が活躍している姿をみてとてもうれしかったです。一方で辞めることを選んだ後輩もいました。高校時代の恩師が「去る者は追わず、来る者は拒まず」という言葉を言っていました。去る者が自分の意思で決断をしたのであれば追ってはいけないと。その言葉を反芻しながらも、辞めることを決断した後輩を引きとめようとした時期がありました。辞めたあと何をするか決まっていないけれど、こんなに苦しいことはしたくない。学業に専念したい。理由は様々あれど来る者、今残ってがんばっている者との時間を大切にしよう、当時はもっとひきづったと思いますがそう考えるようになりました。

 大会には碧水会の名前で出場することもありました。その際、艇を借りたりと大変お世話になりましたが当時はメールで御礼を申し上げるに留まり、失礼もあったかと思います。改めて温かく見守って下さり、有難うございました。また合宿では、国立艇庫に宿泊できない時期にはコーチマンションにお世話になりました。1Kの広さに同期女子3人で住み、時には喧嘩もしましたが雑魚寝をしながらいろんな話をしたと思います。お金がなく、吉野家の豚丼を食べるのが贅沢でした。

 今も現役のみなさんは部費を払うのに苦労されている方もいらっしゃると思いますが、OBOG皆様のご支援があったからこそ続けることができたと感じています。現役時代、お世話になった先輩方にお礼も言えぬまま、今になってしまいましたが、ご指導いただき本当にありがとうございました。重ねてOBOGの皆さまには在学中多大なご支援をいただきました。これから少しずつ支援にまわっていきたいと思います。