碧水会のリレー随想 

杉原博彦

  1969年 建築学科卒
 e0021  創成期・発展期に在籍し 原稿受領日:2011.10.10
 リレー先指名 : 吉村寿一(1969)、森田 喬(1969)

 私が入学したのは46年前ですから、理工ボート部が50周年ということは入部したのは創部4年目ということで、まだ創成期にあったと思われます。部内には部を確立したいとの意気込みがあり、在籍していた4年間で、漕力も格段に向上し、上級のレースに参加し、また組織としても自立性を高め、学内や漕艇界での認知度が高くなったと思います。

 尤も私の場合、入部の動機が何かクラブに入らなくては、父親がボートを漕いでいたので親近感があった、受験勉強期間に90kgに達した体重を何とか減量したかったといった具合で、意識は低かったと思います。入部早々ランニングやサーキットトレーニングに没頭し、荻野での新人合宿には75kgまでの減量に成功しました。

 確か、入部した時の保有艇はナックル2杯(何れも中古?)で、先輩たちがレースに使用していたことから、私たちの乗艇練習は体育局や三菱商事等企業の艇(当時尾久)を借用していたと思います。先輩たちが参加していたレースもお花見レガッタ、工科系レガッタ、相模湖レガッタ等で、シェル艇の漕ぎ方など想像でしかなかったと思います。

 それが、翌年の夏にはオックスフォード楯エイトに出場しました。3年生主体のクルーでしたが、育成の意味で2年生から私と滝本君が加えてもらいました。結果は2年生の2人がエンジンブレーキとなり、予選・敗復敗退と予想通りの結果となりました。尤も使用艇が「千代田」という捻じれた中古艇(専修大のものだったとか)で、それを言い訳にしていましたが・・・・

 先輩と寝食を共にするのは、漕艇技術の伝授だけでなく、ものの考え方の参考になり有意義だったと思います。

 その翌年もオックスフォード楯エイトに出場しました。クルーの構成は4年生が4人、私を含め3年生が4人でした。この時は結構乗っていて、合宿中には川で体育局の対抗クルーと並べて勝ったりし、土手票も高かったような気がします。レース結果は決勝4位でしたが、優勝も夢ではないかとさえ思いました。「千代田」もそれなりに良い艇と思えました。

 短期間で強くなったのは、ベースにトレーニング方法等に対する理工学部ならではの合理的な考え方もあったかと思うが、勢いや先輩の漕艇に対する取り組み姿勢もあったかと思います。当時の浮田監督の理解や筏コーチの論理的で分かりやすい指導方法も忘れてはいけませんが・・・・

 4年生の身長は170、体重も65(約1名を除き)に届いていたかでしたが、身長180前後の3年生より強いオールだったような気がします。

 思いだすと7番だった私は整調・秋葉さんの背中を見て育ったような気がします