碧水会のリレー随想 

藤田健助

  1968年 工業経営学科卒
 e0020  人生後半期をむかえて 原稿受領日:2011.09.28
 リレー先指名 : 田島宣夫(1968)、服部礼士(1968)

 現在 無職の身。されど生身故なかなか透明とはいかない。
同期の人間でも半分はまだ働いて稼いでいて、こんな生活でいいんだろーか?と心騒がしい。ボートで親しくさせていただいた同期の仲間10数人中4人程この世にはすでにいない。折角生きているのだから、世のため人のためと思う事が無いわけでもない。

 多分この原稿が記載される頃は創部50周年も終っているだろうが、10年前の40周年の頃には元気で話をしていたのにーーー 
 そー思うと 残念でならない。逆に生きてる連中とは 家族ぐるみの付き合いが多くなった。一緒にゴルフを楽しんだり観光したりバーべキューしたり等々。そーいっても変わらず私は初台に住んでいるので、栃木や千葉に住んでメンバーにやっかいを掛ける事になる。

 柳内先輩がマスターズ出場のためカナダに行かれたり高見先輩が館山の佐藤の所に来て 番屋で学年対抗をやろうと口説いた話など聞いたり。監督、コーチ等なんとか現役を強くしてやろうと尽力されてる。皆な心底ボートが好きなんだなーと感心する。

 自分は 青春の精力のはけ口みたいな所が有って、まー無駄に体力を使っていた。
よく坂本に言われるが もっとゴルフ見たいに あーでもないこーでもないと考えれば もっと上手く漕げたのにと言われるが、これぞおそかれし由良の助。

 現役時代の一番の思い出と言えば最初の慰労会でしこたま飲み過ぎ 練習疲れと相まって 滅茶苦茶。高見先輩に送っていただいた事本当に有り難い。途中電車の中で騒ぎ回っていたらしい。後にも先にもあれが一番酔っぱらった。いや情けない。

 荻野や相模湖の合宿 時効とはいえ 言うに憚る事も多い。歌の文句じゃないけれど青春時代の真ん中は胸に棘する事ばかり。不惑を過ぎても迷いは多い。まー楽しい事を見つけて元気に朗らかにボートの仲間と馬鹿やって行こうと思ってる次第です。