碧水会のリレー随想   奥村 徹  1969年 建築学科卒
 e0015  滅びの美   原稿受領日:2011.08.03
 リレー先指名 : 杉原博彦(1969)  村山雄一(1971)

 自分では何時までも紅顔の美少年だと思っていましたが、早いもので齢60代半ばになってしまい、仕事はいまだ貧乏暇なし、従業員の生活も背負いながら視界が利かない娑婆で悪戦苦闘しています。現在は最後の転勤地札幌で、格好良く言えば『下山の人生』を楽しんでいるところ。

 3・11の大震災後、職場で若い社員から、あるいは娘・息子からも『この乱世をどのような気持ちで生きているのか?』と聞かれることがあり、最近は『滅びの美』を楽しみながら、と返事することが多い。

 話は飛ぶが、そもそもなぜ1965年(昭和40年)ボート部に入部したのか?西大久保キャンパスで、勧誘のボート部諸先輩が他部よりも親近感が持てたのも事実ですが、多分に自分の頭が疲れていたのかもしれません。文学少年で勉強よりも本の虫、高校同級生に現・西本願寺門主の大谷光真がおり、机並べ『人生如何に生きるべきか』の世界に足を踏み入れ、悪戦苦闘。

 正直、思い切り身体を酷使しバランスを取りたかった。ボートで汗だくになりたかった。しかし、運動音痴の自分にはボート部練習はまさに地獄の特訓(ドイツ式サーキットもありましたね)。4年間続けられたのは奇跡としか思えず、魅力ある先輩が多く、かつ同僚や後輩に助けられたから。

 その後の年月幾星霜。日ごろボートを漕ぐ折はないですが、『ボート部体操』だけは毎朝続けています。なお10年前から、早朝散歩を兼ねゴミ拾いを1時間ほど。

 ここで蛇足ですが、ゴミ拾いを長続きさせるコツは
@ 世のため人のためよりも、自分のために徹する
A 体調不良・天候不順では無理せず、吸殻拾いもほどほどに
B 体真っ直ぐ顔下向かず、周囲の花鳥風月楽しみながら
C 途中、適切なゴミ捨て場を用意する
D 最初の一歩を踏み出せば、あとは習慣簡単至極

 この中で一番難しいのは、実は適切なゴミ捨て場を用意しておく事です(人生でもそうですが)。町内会から貰うボランテイアゴミ袋も良いですが、大袋一杯になるまで溜め込むと臭気がすごく、家人の不評を買う。最近は2種類のポリ袋を携帯し、燃えるゴミ燃えないゴミを区別、コンビニ前のゴミ箱にビンカンボトル類を捨て、吸殻他は公園トイレで水流しながら処理。

 最後に『ボート部体操』で筋肉伸ばし整え深呼吸。この体操をしていると、懐かしい風景・仲間・先輩・後輩の顔が思い出される(既にこの世から消えていった部員は特に)。歩いた道を振り返り、綺麗になった街をみて気持ちよく1日がはじまる。

 この勤行のお陰で、今まで発狂もせずうつ病にもならず、私のような無神論者が生きながらえてきたと思っています。更に休日は朝湯・朝酒で、この世とあの世をさ迷いつつ至福の時間(単にアル中だろうの声が)。

 早朝、車・人が少ない空気が澄んだ街を歩きながら、朝日を浴びながら如何に自分が世の懐に抱かれ生かされて来たかを実感する。また、いつかこの世から消えていく事も。

 形あるもの、生あるものは消えていく。生々流転。『滅びの美』を楽しむ気持ちとは、人類も地球もいつかは滅んで行くのを実感しながら、生きている間は肩の力を抜き、日々全力を尽くし生き切る、『下山の人生』観だと自分では理解している。

 頭と体のバランスを保ち、途中崩れることなく、このような考え方の形成に、ボート部が多大な影響を与えてくれたことに、改めて感謝します。

 なお次の2名を指名せよとのことなので
@ 44年同期卒 杉原博彦 氏
A 2年後輩46年卒 村山雄一 氏  
(脳溢血でリハビリ中と聞いています。もし文章がダメなら、あの味がある絵でも良いので) 宜しく。