碧水会のリレー随想   渡邊文彦  1967年 機械工学科卒
 e0012  46年ぶりの荻野合宿   原稿受領日:2011.07.12
 リレー先指名 : 大枝啓介(1967)、佐藤信彦(1968)

 卒業以来、茨城県北部に居た関係でほとんど理工ボートとは無縁でしたが、やっと仕事から解放され、時間ができた時にこの合宿の話が来ました。1年目(2008年)は心構えが出来ず躊躇しましたが、2年目の2009年には思い切ってとにかく参加をしてみました。

 S42年卒(38年入学)にとって荻野での柳内さん指導によるボートが大学ボート人生の事始めである。したがって荻野の地はまさにボート人生発祥の聖地であった。

 どんな合宿だったかという記憶をたどると借切りの農家に雑魚寝で30人以上が泊り込み、自炊し、当時の艇庫は木造平屋でダム湖の周囲の葦の茂る草むらを切り開いた場所にあった。そんなところで柳内さんの厳しくも情熱的な指導で乗艇練習、バック台、陸上トレーニング、また大声を出す練習等々を素朴な田舎の誰からも文句のでないような場所でのびのびやった記憶があります。疲れてしんどかったけれど不思議とさわやかな疲れで心地よさがあった。

 合宿中の一番の思い出は同じく練習していた隣町の山都女子高のクルーが練習試合の申入れをしてきて、逃げるわけにもいかず、受けて立ったことです。高校生でしかも相手は女子であり、さすがに負けるわけにはいかないと緊張したのを覚えています。レースは行われたと思いますが、勝ったか負けたかは記憶にありません。

 こういう荻野に46年ぶりに訪問した印象はまさに素晴らしい記憶のよみがえりのオンパレードであった。駅から続く峠の道は今も変わらず、ダム湖も同じ、艇庫こそ立派なコンクリート製のビルに生まれ変わっていたが人を呑み込むような深緑のダム湖の水は当時と同じく、その中に溶け込みたくなるような素晴らしいものであった。また、ダム湖へ続く阿賀川の両岸も緑の木々しか見えない当時と全く同じ景色であった。

 こんな素晴らしいところでボートを始められた我々は何と幸せだったのかと再び感じました。我々42年卒にとってはここでの経験があってこそ、ボートへの強い情熱が生まれ、その後の理工ボート部の発展につながっているのではないかと思います。 柳内さんの言葉を借りると荻野はボート部にとってもまさに揺籃の地であることに違いない。

 社会人になってから振り返ってみると学業以上にボートから得たことは大きい。厳しい練習とその結果としてのレースで体力、気力が養われ、これが会社生活で困難な局面に遭遇した時にそれを乗り越える力にどれだけなったことかと思う。またそれ以上なのは46年間、音信不通であっても逢えば昨日のことのように話のできるよい仲間がいることである。

 しかし、その荻野がいま、震災の風評被害で長年培ってきて成功してきたボートによる村おこしがピンチになっているそうな。あんな遠いところでも福島・・・と名がつくだけでと思うが何とか応援しなければと思う。その手始めに今年も荻野での合宿に行かねばと思っています。今年はさらにたくさんの仲間と一緒にね。



 2009年荻野合宿の様子は → こちら