碧水会のリレー随想   漆畑 訓明  1967年 建築学科卒
 e0007  雑感   原稿受領日:2011.05.09
 リレー先指名 :初島 宏明(1967)、諸留 和夫(1968)

 関西(奈良)在住なので、仕事でお会いする高橋清文先輩以外は、なかなかボートの仲間に日頃は会えないのですが、先日東北の大地震の調査で千葉県や宮城県内をウロウロする事になり、その合間を見つけて久しぶりに戸田での早慶戦を観戦しました。

 被災地の情景は、津波に流され屋根だけ残った鬼瓦にまたがって遠くを見る小学二年位の男の子:近くの人に聞くと何度言っても両親や家族が眠る傍を離れようとしないとの事や、家や家族を流出し本人も流されたが立ち木に引っ掛かり奇跡的に助かり、結婚式も延期した若者:其れでも現地の仮事務所で生き残った若者達とノリの養殖の復興を夢見て活躍する姿は誠に怠惰な自分を鞭打つものでした。そんな日常生活を離れた世界の中から戻ってみた後輩の一途なボートを漕ぐ姿にも、また別な感動を起こしたのです。

 自然の与えた試練に立ち向かう被災地の若者達と日々の享楽的な世界と一線を自ら引き厳しい目標を設定してやり抜こうとする理工ボートの後輩達の心にも、俗世に流され忘れていたものを思い出させるには十分なものがありました。

 体力的にも非力な私はボート部の中で、お荷物的な存在であって何一つボートに貢献できたものはありませんでしたが、私自身にはボートで心を許せる仲間を沢山得た事や今考えるとたいした事でなかったがボート部のあり方等を真剣に考えた事の思い出はその後の自分が悩んだり行き詰った時の原点になっています。

 その原点にあるのは仲間達の生きざまです。何時も静かにボート部のあり方・理想を掲げてボートを漕ぎ続ける先輩達、昼休みに部室に来て何時も一人でウエイトトレーニングに汗を出し帰る奴、合宿で練習で疲れた体を横にして英語のポルノ小説を読んでいた奴、朝から晩迄艇庫に泊まり込み炊き出しに励んでくれた奴、どんなにもしんどくても笑顔を絶やさず練習に励む奴、死神と言われ片手懸垂が何回でもできる後輩等、色々な個性を持った仲間がボートを中心におり、夫々が自己を主張し、また夫々に互いに影響しあい、そんな仲間達と大学時代を過ごせたのは私の永遠の財産だと思っています。