碧水会のリレー随想   高橋 清文 1964年 電気通信学科卒 
 e0005  ボートについて思うこと    原稿受領日:2011.04.04
 リレー先指名 : 漆畑訓明(1967)、渡辺紀仁(1964)、佐藤肇(1964)

 卒業後50年たった今、理工ボート部には何の貢献も出来なかったにもかかわらず部創設の一員として、又先輩として思われているのは汗顔の至りです。私が早稲田を目指したのは、野球の早慶戦、早慶レガッタの華やかさの影響でした。幸い入学を果たし、さて何か運動部に入ろうと考えましたが高校時代から運動部にいたものにはとてもかなわないと思い高校に少ない漕艇部なら体力さえ付ければと思い入部しました。

 175cm、55kgの私は体力抜群の部員と共に体力強化と技術向上に努めましたが少々限界を感じていました。当時の理工学部は先の中島田君の話にもあるように時間的な制約が多く又早慶戦の為の特別な合宿が組まれており部を続けるのは難しいと考えていたところ理工ボート部を作ろうという話が出、色々な人の努力の末実現しました。その後紆余曲折がありましたが新艇の購入、合宿設備の整備、又各種競技での活躍等喜ばしい限りです。

 当時の世相は安保問題の
デモの頃でした、学生はマージャンやダンスパーテー、パチンコ等に興じボートのような激しい、単純なものは余り好まなかったのではないでしょうか。私の理工ボートでの思い出はやはり相模湖での理工レースです。思ったより多くの学生が参加し漕ぎ終わったときの表情は疲れた中でも満足感を感じているようでした。私がボートを好きなのはフイニッシュでオールが揃ったときの瞬間で美しさを感じます。時々橋を歩いていると下を艇が通ると見入ってしまいます、早慶レガッタ、全日本レガッタ等には華があります。

 ただ50年前東北大学が初めて60秒のタイムを出してから進歩していないようです、これからもっとメジャーなスポーツになればいいと思います。

 卒業後大阪に引っ込んでしまい疎遠となりましたが今後の皆様の活躍を見守らせて欲しいと思います