碧水会のリレー随想   関 亮介 2008年 経営システム工学科卒 
   e0002 ボート部が好きだった  原稿受領日:2010.08.12
   リレー先指名:生出健一(2007卒)、星野壮一(2006卒)

 私のボート生活は高校から始まりました。高校が琵琶湖のほとりにあったので、単純に琵琶湖ならではのスポーツをやりたいと思ったのがきっかけです。エルゴもなんだか楽しそうな機械に(当時は)見えました。艇庫は学校から自転車で僅か5分程の所にあった。プレハブ小屋みたいな艇庫でしたが、フィリッピやエンパの艇を持っていたりして、設備には非常に恵まれていたし、毎月500円の部費以外に出費ありませんでした。今思えばOB会のサポートがあって初めて成り立つ環境だったんだということを実感します。

 大学では正直ボートを続けるつもりはありませんでした。ボートの練習(特にエルゴ)がキツイってことが分かっていたし、早稲田は強豪だからとてもやっていけないと思ったからです。しかし結果的に理工ボート部でそれまで以上に辛い練習の日々を送ることになりましたが、それでもボートを続けた最大の理由は理工ボート部の居心地の良さでした。練習は辛かったけど、練習以外に仲間と過ごしている時間が楽しかった。「ボートが好き」というよりも「ボート部が好き」という人は結構多いのではないでしょうか。

 大学4年間で最も印象に残ったレースといえば2年の初夏に出た東日本大学選手権です。この時エントリーした種目は4+で私の他に4年生の漕手が3人と3年生のコックスが1人という組み合わせでした。レースが近づくにつれて調子は下降の一途を辿り、クルーには半ば諦めムードが漂っていました。そんな状態でレースまで1週間を切ったある日、当時キャプテンを務めていたH先輩(3番)が「調子が悪いのは俺が整調のリズムを伝えられていないからだ。こうなったら俺が整調を漕ぐ」と言いだし、まさかのポジション総チェンジ。するとみるみる調子が上がり、その勢いで見事優勝してしまいました。元々レベルの高い大会ではないにしろ、高校の時には味わえなかった「優勝」を体験できて、ボートを続けて良かったと思える瞬間でした。

 卒業して2年が経ち、現在はOBとして現役部員を支援する立場になりました。広報委員という立場から現役部員をどれだけ支援できるかわかりませんが、理工ボート部員にボートに専念できる環境を提供できるよう頑張っていきたいと思います。